百済寺郷のまちあるきに参加してきました!

百済寺郷とは百済寺と共に歩んできた寺領(門前町)のことで、百済寺甲町、上山町、百済寺本町、百済寺町、北坂町の5集落からなる村です。

まちあるきの案内人は、百済寺樽プロジェクトメンバーである一炊庵の山本一博さん。

今回は北古屋村(現:百済寺町)の回でした。

練り歩きながら、歴史を紐解いていきます!

百済寺とは

百済寺郷を語るには、まず百済寺の歴史を知っておくと楽しめる!

というわけで百済寺の概要から案内がスタートしました。

百済寺は聖徳太子が建てたお寺と伝わっています。

本堂の写真

知る人ぞ知る 滋賀で一番古いお寺「湖東三山 百済寺」に行ってみよう

室町時代には、百済寺が火事になってしまった際に百済寺郷の村々の人たちが寄付を募ったと文献に残っています。

昔から寺との結びつきが深かったことが明らかなんですね〜。

百済寺郷とは

百済寺郷は、百済寺甲町、上山町、百済寺本町、百済寺町、北坂町の5集落からなる村です

昔から寺の作業をしていた、寺の恩恵を受けていた、寺とは切っても切れない深い縁があったそうです。

今回の舞台である【北古屋村きたごやむら】という呼び方は、江戸時代の呼び方なのだそうですが、住民たちのあいだでは、今も百済寺町の地名を「きたごや」と呼んでいます

百済寺が位置する地名も百済寺町ということもあり、5つの集落の中で、お寺と一番結びつきが強かったと言われています。

百済寺町(旧北古屋村)を練り歩きました

集合場所である百済寺の駐車場から、歩いて移動しました。

この日は風が結構強かったのですが、ウォーキングにはぴったりの晴天!

山本一博さんを先頭に道を下ります。

寺領不動前と琵琶湖遠景

15分ほど、歩くと見晴らしのよいスポットに遭遇。

こちらは不動前(ふどうまえ)という地名だそうです。

百済寺が信長の焼き討ちに合って、復興する際、江戸時代に与えられた土地と言われています。

比良山系の山沿いにある集落で唯一びわ湖が一望できる集落と言われています。

ほんと、空が広いです!

びわ湖の反対側に位置する高島エリアも見えます。

夏場はあらゆる地域の花火を見下ろすことができるんですよ笑

「百済寺樽」用 酒米田

信長の焼き討ちから444年を経て平成29年に復活した幻の銘酒「百済寺樽」

東近江市発祥の飛び出し坊や「とび太君」もここでは「百済寺樽」バージョンです!

飛び出し坊やならぬ、飛び出し「坊主」ですね!

百済寺今昔物語

大日堂

集落内ではこのようにいくつかの場所でお地蔵さんが祀られています。

基本的にはお地蔵さんの近くの住民たち何人かでお世話をされているそうなのですが、この大日堂様はKさんのお家一軒でお世話されているそうです。

仏の中の仏様と言われている大日堂様。

きっとKさん一家は素晴らしい恩恵を受けていることでしょう。

化地蔵(ばけじぞう)

続いて百済寺町の集落センターにやってきました。

なんと、この中に百済寺から出張中のお地蔵さんがいるのです。

普段は非公開となっております。

なぜ、百済寺のお地蔵さんが、百済寺町の集落センターにいるかというと、文献が残っていないので詳しいことははっきりと分かっていないのですが、昔話として、語り継がれております。

むかしむかし、北古屋村の稲刈りのあと、稲を干していたとき、急な大雨に見舞われました。 急いで近くにあったお寺の地蔵堂の屋根を借り、雨宿りをするも、お地蔵さんがいらっしゃいません。 一瞬、不思議に思ったものの、せっかく収穫した稲が濡れてしまうことの方がどうしようと気になって、そわそわしてすごしたそう。 雨があがり、急いで帰ると、稲はすべて軒下に移動しており、無事雨にうたれることはなかったそうです。 誰が移動したか、村の人に聞いても心当たりがある人はおりません。 ほっとすると、先ほどのお地蔵さんのことが気になってきたので、地蔵堂にもう一度行ってみると、なんと、さっきまでいなかったお地蔵さんがいらっしゃったのです。

お地蔵様が収穫後のお米を村人に変わって助けれくれた。と昔話として伝わっています。

坂と石垣

集落センターで少しばかりの休憩を挟み、再出発。

坂を登っていきます。百済寺町の特徴はなんといっても急な坂道

結構足腰にくるのです…

また、いたることろに石垣があります。

山岳寺院である百済寺を維持管理していくために、この石垣構築技術が培われたとも言われています。

岩上神社

坂を登り、岩上神社にたどり着きました。

こちらも建立に関しての文献には残っていないので、住民から語り継がれている昔話を教えていただきました。

その昔、村に急に大きな大きな岩が出現し、その「岩神様」を守るため直ちに拝殿を建立したといわれています。

本殿はこのように背後の山の一部を抱き込むような佇まいをしています。

おそらく、御神体である「岩神様」を移動させず、祀っているのです。

住民の方も中の御神体を見たことがある人はほんの一握りだそうです。

自然崇拝は日本に仏教が伝わる前からあるものなので、岩上神社の歴史は百済寺よりも古いと考えるのが自然ですね!

百済寺の坊跡群

さあ、ここからさらに上に進みます。

獣害のネットを超えて…笑

普段は入れない場所なのですが、今回は住職の協力のもと、百済寺の山中へ足を踏み入れました。

このエリアには百済寺の中で一番立派な石垣があります。

石垣マニアではない私も圧巻!

昔の人がこのような高い石垣を作ったことを想像するだけで頭があがりません!!

おそらく、5mほどはあったでしょうか。

中には江戸期の年号が刻まれた墓石もあります。

この石垣が位置する場所は、信長の焼き討ち以降に復興した区域と考えられているそうです。

土中に散乱する五輪塔

削られた斜面から五輪塔の部材が複数確認できるエリアがあります!

中世の墓地エリアになるそうです。

なんにも考えず色々踏んでしまった…笑

まとめ

なんと高低差50m以上のハードなまちあるきでした。(最後は山歩きでした!笑)

普段何気なく通る道や景色も、歴史背景や設置の理由などを知ることで、また別の視点で楽しむことができました!

百済寺樽プロジェクトでは「温故知新」を大事に、歴史を知ることで新たな発見や学びになるプログラムを多数開催しています。

ご興味がある方はぜひともこちらの記事も読んでみてください!

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ABOUT US

藤田 彩夏合同会社グリーンラボラトリー 代表
地域住民と地域活動に取り組み、合わせて自治体や企業の農林漁業分野のコンサルティング事業も展開。百済寺樽プロジェクト発起人および代表。 生産地である農村部と消費地である都市部を繋ぐ取り組みと得意とし、マルシェの企画運営も行っています。