百済寺樽プロジェクトは、百済寺樽という地酒を軸に、百済寺エリアを東洋一注目される寺院にすることを目標に活性化をすすめています。
百済寺樽は生産量も少ないので、珍しいお酒として手土産に使っていただくこともしばしば。
最近では市長がよく手土産にしてくれています!
本当に嬉しい限りです!
さて、この記事では、百済寺樽プロジェクトに取り組んでいる経緯や想いをまとめました。
どんなプロジェクトなのか、最後まで読んでいただけると嬉しいです。
活動場所である百済寺エリアはこんなところ
琵琶湖の東側に位置する滋賀県東近江市百済寺町。
虫や鳥のさえずりが響く、田園風景広がる里山です。
標高は約250m。少し高台に位置します。
琵琶湖の水面や、対岸の高島市まで見える空気の澄んだ場所です。
[写真]京都・名古屋から約1時間のアクセス
百済寺町は京都と、名古屋の中間地点に位置しています。
名神高速道路が近くにあるので、車で約1時間で行ける好立地です。 最寄りのICからは10分ほどで到着します。
また、1時間に約1本の間隔で名神高速バスが走っているので、意外とアクセスのいい農村なのです。
なので週末、都会を離れてちょっとした息抜きに最適。
色んな農村に行ったことのある私の感想としては、すぐ行ける田舎という感覚です。
清酒発祥の地「百済寺」とは
百済寺町には紅葉の名所として知られる「釈迦山 百済寺(ひゃくさいじ)」という滋賀県最古級の名刹があります。今では湖東三山のひとつとして知られています。
百済寺町は百済寺が創建された当時からの寺領であり、今でも毎年百済寺にまつわる伝統行事が続いています。
飛鳥時代に聖徳太子の勅願で創建されたといわれている百済寺は、かつて「東洋一の寺院」「地上の天国」と称されていました。
百済寺は銘酒があり、近江清酒発祥の地と言われております。 その銘酒の名は「百済寺樽(ひゃくさいじたる)」。
どぶろくのような濁った酒が主流だった室町時代に、清酒が造られていたのです!
清酒の醸造は、当時の最先端の技術でした。
つまり、百済寺樽は、百済寺が繁栄していた象徴とも言えます。
境内で醸造され、都で持て囃されていたと文献にも残っている幻の銘酒です。
その歴史は、1573年の信長の焼き討ちで途絶えてしまいますが、清酒の起源「僧坊酒」発祥の一つとして語り継がれていました。
私が「百済寺樽プロジェクト」を始めた理由
しかし、そんな壮大な歴史をもつ百済寺も、ある悩みを抱えていました。
今でも紅葉シーズンには多くの来訪客が訪れますが、ひと昔前にに比べると来訪客が減少しているのです。
住職の話によると、以前は大型バスが今より多く来ており、団体旅行で来られる方が多かったと。
今は団体旅行をする人たちの絶対数が減っているから、大型バスが少なくなったから来訪者が減ったと話してくれました。
つまり、旅行会社は百済寺の魅力に気づいているけれども、自分たちで旅を企画する個人旅行者には魅力に気がついてもらえていないということなのです。
百済寺も個人旅行の旅先のひとつに加えてもらう必要があるのだと感じました。
旅先の選択肢に入れてもらうには、まず「百済寺」という名前を聞いたことがないと入れてもらえないよなあ…
檀家をもたない百済寺は、来訪客が減ってしまえば、この美しい環境が維持できなくなります。
危機感を覚えた私は、どうやったら百済寺に来訪者が増えるか考え、悩みました。
なぜ危機感を感じたかというと単純に、百済寺に虜になっていたからです。
百済寺は、どこを切り取っても美しく、移住してきた私を魅了しました。
四季折々変わる色とりどりの樹々や草花、歴史を感じる石垣、絶えず流れる清流、青々とした苔、そして野生動物の優雅な様。
静かながらも、耳を澄ませば命の力強い音が響く、生きもののいのちが輝くパワースポットなのです。
そのとき思い出したのが、以前、住職から伺っていた百済寺樽の歴史。
百済寺樽を復活させれば、「東洋一」と呼ばれていたころの賑わいを取り戻せるかも…
それに、お酒を復活させるって面白そう!
百済寺樽のことを思い出した当初は、本当に軽い気持ちで、『面白そう!』が原動力でした。
住職に、『復活させましょう!』と提案しに行った時のワクワク感を今でも鮮明に覚えています。
そんな楽しい期待が、プロジェクトのメンバーを集めだして、熱い想いに変わり、
2017年、地域の有志メンバーと共に百済寺樽復活プロジェクトを立ち上げたのです。(※今は百済寺樽プロジェクトと名前を変えました)
おかげさまで、それから毎年酒米をつくり、百済寺樽を仕込んでいます。
今では、毎年飲んで来る方も増え、二代目の百済寺樽が少しずつ定着しています。
ありがたいことに、お酒は毎回売り切れる人気ぶり。
大変大変嬉しいことなのですが、私たち百済寺樽プロジェクトの目的は、百済寺樽を売ることではありません!
真の目的は、初代百済寺樽の時代のように、百済寺を近江一大拠点にすることなのです!
楽しみながら地域貢献になる「百済寺樽オーナー」
百済寺樽プロジェクトの発足当初から、地域外からも百済寺をサポートしてくれる人たちを「百済寺樽オーナー」という名付け、募集しています。
私が百済寺に出会った時に感動したように、楽しみながら百済寺地域のことを知って、体験して、自然の豊かさを実感する人を増やしたいなあと思って考えたのが百済寺樽オーナーという制度です。
移住してから気がついたのですが、街中にいると人工的につくられている季節や自然に踊らされてしまうのです。
昔の私は、ショッピングセンターの広告や装飾が、2,3週間ごとにガラッと変わることで、季節の変化を感じていました。
本来はそんなことはありません。
毎日風景は変わるし、少しずつ自然は変化しているのです。
もちろん、都会のいいところもたくさんあるので、否定するわけではありません。
(実際に、お仕事で都会に行くこともあるし、楽しい場所なので、好きです。)
ただ、自分が自分らしくいれるのが農村なんじゃないかなと思っています。
そんな些細な感覚を、少しでも多くの方に感じてほしいと思い、百済寺樽オーナーを考えました。
日本中、田舎だらけなので、思い立てば旅行に行くこともできます。しかし、農村の住民との交流や、お寺での体験は、旅行ではなかなか味わうことはできません。
また、百済寺町民たちも、オーナーさんの存在は心の支えになっていて、体験の日を心待ちにしています。
田んぼを耕し、米をつくるということは、農地(自然)を守る役割があるのです。
それはそれは大変なときもありますが、オーナーさんの存在が原動力になっています。
コロナの影響で来ることが難しい方もいらっしゃると思いますが、来られなくても、存在そのものが地域を元気にしているのです。
また、お寺が当たり前にある暮らしというのもなんともこの地域ならではで、面白いです。
文化に触れて、いつもは向き合えない大事なことと向き合う時間になれば嬉しいです。いただいたお金は地域の活性化事業に使わせていただくので、体験の参加が難しく地域支援だけしたいという方もオーナーになっていただけると嬉しいです。
オンラインのみでも参加可能ですので、あなたのご参加をお待ちしております!!
まとめ
百済寺樽プロジェクトは、百済寺地域を盛り上げるために立ち上がったプロジェクトです!
百済寺樽オーナーは、楽しみながら地域貢献になる日本酒とお寺と自然体験ができるプログラムです。
自然と触れ合って、リフレッシュしたい方はぜひともご参加くださいね!
こんにちは。
百済寺樽プロジェクトの藤田彩夏と申します!
本プロジェクトの発起人であり代表でもあります。