幻の銘酒「百済寺樽」とは?
紅葉の名所として知られる「釈迦山 百済寺」。
かつては「東洋一の寺院」「地上の天国」と称された知る人ぞ知る名刹です。
室町時代に隆盛を極めた象徴が幻の銘酒「百済寺樽(ひゃくさいじたる)」。
寺内で醸造され、幕府や朝廷に献上されていた高級なお酒です。
寺院で造られていたお酒の総称を「僧坊酒(そうぼうしゅ)」といい、近畿ではとくに有名な僧坊酒が4つあり、そのひとつが、百済寺で造られていた「百済寺樽」という銘柄の日本酒でした。
お寺でお酒を・・・?
と不思議に思われたかもしれませんが、神様や仏様のお供え物として醸造されだしたのが僧坊酒の起源と言われています。
現代こそ清酒は一般的ですが、当時の「醸造」は最先端の技術でした。
「百済寺樽」の文字は中世の文献にたびたび登場します。
また、百済寺の駐車場からは、十数個の常滑焼などの甕が出土しています。
(東近江市埋蔵文化財センターにて保管)
織田信長の強烈な愛憎
戦国の覇者、織田信長が魅了され、生涯で唯一の勅願寺と定めた百済寺。
しかし天正元年(1573)、敵対勢力とも縁のあった百済寺をひどく憎み、信長の手により寺の全域が焼き討ちされ、人々に愛された
「百済寺樽」の歴史に幕が閉じたのでした。
2代目「百済寺樽」
清酒の起源「僧坊酒」を醸造していた百済寺は、経済力・労働力・情報力・技術力・政治力すべてを兼ね揃え、今でいうバイオテクノロジーが集結する近江の一大文化拠点でした。鈴鹿山系から湧き出る清水、香り高い近江米、そして中枢部の三百坊に加え総計一千坊、一千三百余人を要する大寺院だからこそ生まれた「百済寺樽」は多くの人に愛されたと言われています。
444年の途絶えた歴史を復活させ、百済寺にかつての活気を取り戻すべく地元が立ち上がりました。今回は現代の多くの人に愛される2代目百済寺樽として復活いたします。
滋賀県酒造好適米「玉栄」使用し、百済寺町で丁寧に育てました。醸造は喜楽長でおなじみの喜多酒造。鈴鹿山系から流れる愛知川の伏流水を使用します。
幻の銘酒をきっかけに「百済寺」が、かつてように繁栄していくことを願って・・・
味わい、そして、歴史に想いを馳せてみてください。
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