― 信長の焼き討ちを生き抜いた木から、未来の一杯を ―
かつて失われた酒が

かつて失われた銘酒が、もう一度「百済寺」から生まれようとしています。
室町時代。
滋賀県・百済寺の境内では、清酒が醸されていました。
その酒の名は「百済寺樽(ひゃくさいじたる)」。
幕府に献上されるほど珍重され、都の人々にも知られる存在だったと記録に残っています。
しかし1573年、
織田信長による百済寺焼き討ちにより、
寺とともに酒造りの記録も、技術も、すべて失われました。
それから約444年。
「幻の酒」となった百済寺樽は、
長い間、歴史の中に埋もれてきました。
百済寺樽プロジェクトについて

百済寺樽プロジェクトは、
2016年、ひとりの女性をきっかけに地域の有志メンバーで立ち上げられました。
百済寺の歴史と魅力を、
「お酒」をきっかけに未来へつなぐための取り組みです。
地域の方々、農家、酒蔵、寺、JA、
そしてオーナー・ファンコミュニティ「たる部」の皆さんと共に、
これまで「百済寺樽」を育ててきました。
現在の百済寺樽は、
百済寺周辺でとれたお米を使用しながら、
当時のレシピが灰になってしまったため、
「復刻」ではなく、
百済寺の魅力を現代に伝える“2代目の百済寺樽”
として醸造されています。
そして、次の挑戦へ。
百済寺樽プロジェクトは、
10年目を迎え、新たな一歩を踏み出しました。
それが、
百済寺の「菩提樹(ぼだいじゅ)」の花から酵母を採取し、
酒造りに活かすという挑戦です。
焼き討ちを生き抜いた、千年の菩提樹

百済寺の本堂横には、
樹齢1000年以上とされる「千年菩提樹」が、今も静かに立っています。
この菩提樹は、
お釈迦様が悟りを開いたとされる、
大変ご利益のある木です。

そして同時に、
織田信長の焼き討ちを、その場で見てきた木でもあります。
焼き討ちによってほとんどが焼け落ちましたが、
幹の一部は生き残り、
中が空洞になりながらも、今なお生き続けています。
百済寺の歴史そのものを背負った存在です。
「真の百済寺樽」をつくりたい
現在の百済寺樽は、
百済寺の地で育ったお米を使っています。
しかし、
百済寺そのものの素材は、まだ使えていません。
そこで私たち百済寺樽プロジェクトは考えました。
百済寺に実在する菩提樹の花から生まれた酵母で、
百済寺樽を醸すことはできないだろうか。

それが実現すれば、
百済寺の歴史と存在そのものを宿した、
もう一つの百済寺樽――
「真の百済寺樽」が生まれるかもしれません。
科学と伝統が交わる場所で
この菩提樹花酵母による酒造りは、
- 滋賀県工業技術総合センターさん
- 喜多酒造株式会社さん
の協力のもと、研究して進められています。

現在までに、
- 菩提樹から抽出した酵母が
アルコール発酵することは確認されています
ただし、
- 飲めるお酒になるのか
- 味わいはどうなるのか
- 酒として成立するのか
その答えは、これからの研究の中で明らかになります。
今はまだ「完成」ではありません。
挑戦の途中です。
過去と未来が交わる、一杯へ
信長の焼き討ちを生き抜いた菩提樹。
歴史の中で一度途絶えた百済寺樽。
その二つが、
現代の技術と人の想いによって、
もう一度出会おうとしています。
過去を生き抜いた存在から、未来の一杯を生み出す。
進捗は都度お知らせします…!
![僧坊酒[百済寺樽]](https://hyakusaijitaru.com/wp-content/uploads/2020/05/cropped-ロゴ文字のみ.png)













